連続流れ分析の原理
Continuous Flow Analysis(連続流れ分析:CFA)と呼ばれている原理を用いた自動化学分析装置であり、蒸留、透析、抽出などの前処理も自動化が可能です。水道水や環境水などの水質試験、食品や土壌・肥料の成分分析、さらに、医薬品の分析等に利用することが出来ます。
連続流れ分析と良く似た原理に、フローインジェクション(FIA)と呼ばれるものがありますが、連続流れ分析と大きく違うところは、ラインの流れを空気分節しているところにあります。分節することにより、完全混合・完全反応ができ(下図参照)、低濃度から非常に良いデータを得ることが出来ます。それ故、 連続流れ分析法は、公的検査機関をはじめ、その他の計量証明事業所、大学に至るまで数多くお使いいただいており、一部では公定法として取り扱われています。
図・CFA = AutoAnalyzer の混合原理
チューブ内のサンプルは、規則正しく空気で分節されているため個々のセグメント内で対流が起こり混合が行われます。これは、例えていうなら、スターラー付きミニ試験官がたくさんつながっているようなイメージです。
比重差のある試薬でもコイルを使用することによって完璧に混合させることができます。 これは、例えていうなら1本1本の試験管を手でシェイクして転倒混和させていくようなイメージです。
・公定法について
連続流れ分析法は、JIS K 0400-42-70、海洋観測指針、上水試験法2001年版、河川水質試験方法(案)、環境測定分析法註解、下水試験法に掲載されています。
連続流れ分析の歴史
1960年代、米国オハイオ州にある在郷軍人病院は大規模な病院で、検査室における検査件数は毎月35,000件にも達っしていました。現在オートアナライザーと呼ばれ、自動分析装置のさきがけとなった装置の生みの親であるT.Skeggs博士は同病院の臨床検査室の主任でした。
Skeggs博士
当時としてはこの病院の検査室の設備はかなりすすんだものでしたが、日々要求される数多くの検査が十分におこなえないこと、また検査結果の精度にバラツキが大きい点から、Skeggs博士は自動的に分析を行う分析装置の開発を始めました。
元来臨床検査は定められた手順に従っての繰り返しの操作であり、繰り返しの操作こそは機械のほうが正確に行えるはずです。博士自身も研究題目として、高血圧症の生化学的研究をおこなっておりました。そのため血糖および尿素窒素の測定をしなければならない多数の試料を常に抱えており、“必要は発明の母”といわれる条件がここにも存在したといえます。
よい発明が完成に至るまでには、その発明を必要とする外的条件が常に存在しているものです。 博士の考え出した、連続的に試料及び試薬を一本のチューブ内に流しながら自動的に化学分析を行わせる、という方式の開発のきっかけは個人の努力から始まったものです。連続流れ方式と呼ばれるユニークな自動化学分析方式を生んだ博士が分析化学者でなく、臨床生理学者であったことも忘れてはならない点です。
連続流れ方式の基本原理となった、複数のポンプチューブをローラーで同時に連続してしごき、これに試料および試薬を連続して採取し、これを合流させ、気泡で流液を分節させながら反応検出器まで送るという考え方。これは、人間の食道を通って食物が胃に送られる過程にヒントを得たといわれています。またローラーでポンプチューブをしごく方法も、やはり食物の腸管での動きから考えついたといわれ、従来の手法による化学分析技術にこだわらない臨床生理学者のユニークな発想の面白さが有ります。
約3年ほどかけて装置の原型ができあがりました。
オートアナライザーの原型
1954年のある日、テクニコン社のセールスマンが販売のために病院を訪問し、Skeggs博士から試作装置をみせられました。当時テクニコン社は自動パラフィン包装をおこなう、オートテクニコンと名づけられた装置を製造販売していた会社で、ニューヨークの下町にあった小さな会社でした。このセールスマンは、早速装置について報告すべく長距離電話をニューヨークのテクニコン社へかけたのです。
この報告に興味を持ったテクニコン社E.C.Whitehead社長は、『とにかくその分析装置とSkeggs博士と一緒に至急ニューヨークへ連れてくるように』という指示を与えました。
すでに別の会社と契約を結ぶ予定であった博士はニューヨーク行きを渋りましたが、テクニコン社側の熱意に負けて自作の装置を車にのせて、翌日ニューヨークへ向いました。 テクニコン社に到着するやいなや、博士に同行した夫人から採血し、無言で装置を動かし始め、それに注目するWhitehead社長らも無言のまま、しばらくの間装置の実演が続きました。 操作が終わったところですぐ契約に進んだといわれています。
その後テクニコン社はこの装置をオートアナライザーと名付け、さらにこの装置を市場に出すまでには、さらに3年の開発への努力が必要でした。
オートアナライザーのプロトタイプ
博士の装置では試料や試薬を分析系に導入するために、ゴム管とそれをしごいて送液するモー夕一を用いていましたが、このゴム管やモーターを物理的化学的も耐久性のある安定した送液システムにすることが必要でした。
最終的に現在使われているタイゴンチューブに達するまでに数百種の材質のものを試験しています。
このようにテクニコン社の研究スタッフによってサンプラー、秤量ポンプ、透析膜、比色計などSkeggs博士の装置は大きな改良を加えられ、1957年に初めてオートアナライザーとして市場に出ることになりました。
オートアナライザーの一号機
Whitehead社長の話によると、始めは全世界で600台も売れればよいと考えられたこの装置が、初年度の1957年で50台、1963年には4000 台、1969年には18,000台と世界各国で使い出されたのです。
このような長い歳月、自動分析装置のべストセラーとして生き続けてこられたのは、気泡分節を用いた連続流れ方式で分析されたデータの高い信頼性と、夫々の時代に出現してきた、新しい技術を取り入れ常にその可能性を追求していくという姿勢をもち常に進化しし続けてきたからです。
最後に、この装置の素晴らしさは、この装置の進化へのチャレンジに多くの外部の研究者や技術者がその役割を担ってきたと言う事です。